W、般若心経の教え


    1、般若心教の真髄:

      心経は、2500年前にお釈迦様がインドで悟りを開かれた教えを説いたものです。
      漢字で262文字並べられ経文は、サンスクリット原語を漢字の当て字に置き換え
      たものです。
      その真髄を表す言葉は、

      <色不異空>
      <空不異色>
      <色即是空>
      <空即是色>
      です。

    2、識別のない概念:

      言葉は、もともと差別・識別するため発達したものですから、
      差別・識別のない概念を表すのに適していない。
      空は、差別・識別のない概念を云っており、
      その説明には、クイズ番組の回答探しのように
      これも違う、あれも違うと次々と否定を繰り返し、核心に導いている。
      その意味するところは、色々なもの、即ち万物には、区別がないということ。
      そして、その逆も有り得ると云っている。

    3、心にコダワリを持たない:

      心の在り方として、すべての対立関係に囚われず、さりとてこれを否定もせず、
      ありのまま生きていけば、一切の苦しみから免れることができる。
      と説く。
      平たく云えば、心にコダワリを持たないということ。


     心に苦しみを背負うとき、その苦しみから解放してくれる教えが
     般若心経です。


    4、吉田松陰の時世の句:


      吉田松陰は獄中にあって、

      「死を求めもせず、死を辞せもせず、

      獄にありては 獄でできることをする。

      獄を出ては出てできることをする。

      時は云わず、 勢は云わず、

      できることをして行き当たれば、

      また獄になりと首の座なりと

      行くところに行く」


      吉田松陰のこの辞世の句に、般若心経の教えが見える。
      松陰のように慌てず、騒がず、平然と死を迎えることができるでしょうか?



         

    <断食する仏陀像/インド/ラホ−ル博物館>




 D、阿修羅像



    奈良は、興福寺にある阿修羅様が2009年東京の国立博物館平成館にやって来られた。
    1300年前の奈良時代の天平文化の粋を集めた彫刻で、我国仏教芸術の最高峰と云われて
    います。

    興福寺では、ガラス越しにしか拝見できませんが、東京国立博物館では、
    ガードフリーの台の上にお立ちになっている姿を360度2mの間近で拝見できました。
    同じ空間から伝わる感触、
    それは余りに生々しいお姿でした。

     



    阿修羅様は、本来、インドの戦いの神様。
    ・・・それが何故あのような清々しいお姿になられたのか

    それは、戦いの神様がお釈迦様の教えに帰依し、それまでの行いを悔やみ懺悔している姿でした。
    その憂いを秘めた表情は、見る角度や見る人の人生そのものを反映して、いくつもの表情を見せる
    ようです。
    阿修羅像は、見る人の数だけ存在するのです。

    現代の人々をしてこれほどまでに惹き付ける魅力とは?
    本来仏像の姿は、至高にして尊く、人々の頭上に位置するものでした。
    しかし、この阿修羅様は、
    生きているように生々しく、人々と同じように悩み・苦しみ、そして祈っていました。

    ・・・・仏様が懺悔されている。
    この人々と同じ姿にこそ人々が共感する源だと思います。

    人々と同じ目線にある神様にひどく共感するからでしょうか。


         



    司馬遼太郎が曰く。

    「興福寺の阿修羅には、少女とも少年とも見える

    清らかな顔に、無垢の困惑ともいうべき神秘的な

    表情が浮かべられている。」

    ・・・・・




  
        参考文献: 誰にも解る般若心教・・・上野陽一著
                般若心教講話・・・橋本凝胤著